忘れっぽいので、もはや手段。
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08 , 22


本を読んでいて、
何かすっきりするなと思った。

それが合点がいったのだと気付くのには少し時間がかかった。



要するに
継続していくためには変化が必要だということ。




一度別れた恋人とヨリを戻したことがある。
そのきっかけは発見にあった気がする。

ほぼ一年程全く連絡をとっていなかった相手と
連絡をとるきっかけがあって
(何故だったかは覚えていないが俺からした気がする)
久々に話す相手は変わっていないが変わっていた。
俺がかつて惹かれていた本質的な部分は一見変わっていないのに
相手の環境はかなり変わっており、
そして考え方や向かっている方向
その環境で感じていることなどが俺にはとても新鮮に思えたのを
覚えている。


その変化を発見した時に
同じ人なのに違う人。
そう印象を受けた。



とても新鮮でこの期間でこれだけの変化
(変化を成長というと俺の視点が失礼な感じがするが
 素直に尊敬できるなと思った)
できることにとても惹かれた。

何より相手をまた知りたいと思うようになり、
また付き合うようになった。


あの時の感覚はまだ残っている。
何かきらきらしたものをきらめきみたいなものを
みつけたような感覚。


誰でもかどうかはわからないが
少なくとも俺にはこれが必要なのだと思った。
この必要性は「飽き性」
という俺の特性で終わらせるのには少し足らない気がする。

ずっと変わらないでいてほしい。

というのも難しい。
一生同じ毎日を過ごしたってきっと変化はするものだ。
その毎日に飽きたり、満足したり
変化を求めたり。


変化するということを前提においたとして
しかしその変化を発見することは自動的に起こるか。
これに関しては、否だ。


毎日毎日一緒にいると
その小さく変化していく様に隠されるかたちで
最終的に大きな変化となっていても気付かない場合があるからだ。
髪の毛の長さなんかがそうだ。


それはきっと相手に対しても言えることだと思う。


だからといって話したように
しばらく全く連絡をとらない状況をつくらないといけない
ということではない。


互いに変化する存在でいなければならないのだと思ったのだ。



それが俺の合点。


時間を長く共有していくことによって
相手のことを知っていっているように思えてくる。
でもこれは早合点で
知れるというのはあくまで一部で
それも普遍的なものではない。

その鈍っていく感覚の中で

どれだけ研ぎ澄まされた感覚でいられるか。
相手に気付いてもらえるほどの変化をもち続けていられるか、
とてつもなく大変なことに思えてきてならない。


だから案外たまに会う友人とは楽に話せるところがあるのかもしれない。



その変化が数年前まではしやすかったように思う。
それは環境の変化が数年おきにあったからだ。

学校・クラス・住んでいる土地。

わかりやすい変化だ。
これらが変わったからといって変化が必ずあるとも言い難いが。




ともかく変化はしていくものなのに
その変化をよい方向にもっていこうとすると
継続のための変化にもっていこうとすると

とてもつなく遠いように思える。


それこそ昔の自分が考えていた

志高く。

が思い返される思いがした。




兎にも角にも。
驕らないこと、発見できる人であることが
俺の課題だなと思った。




大事な人たちとはいつまでも一緒にいれたらと思う。
しかし、そうなるとどうしても変化を奨励しない部分がでてきてしまう。

それによって確実に変化しないものを求めたこともあった、
そして俺は失っている。

むしろ変化を奨励するべきだったのに、と今なら思う。
その変化を恐れていたところに俺の大きな勘違いがある。

あれほど相手の変化に惹かれた俺が
いつのまにか相手の変化を恐れるようになった。
それは相手が自分の手から離れていってしまうような気がしていたからだ。


実際自分の手にあるものなどないのに。


その相手と再び別れたことにも意味がある。
それによって俺はやっとだが変化の重要性に気付けた。
そしてその意味は一つに限られない。



合点がいった。




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