忘れっぽいので、もはや手段。
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04 , 15
週末から土日と珍しく睡眠を貪らず人に会ったりしてたよ。

前の職場のこと会ったり。
職場は勤務体系が大改革、人の移動も激しかったらしく
話を聞けば何だか別の場所みたいになってしまったなぁと
以前を懐かしんでみたりした。


最近好きになった曲をたまたま少し話してみたら
聴きたいとかいう話になり。
携帯で聴かせてあげると相手のこも気に入ったらしく
即行でダウンロード(笑

2曲ともお買い上げ(笑

俺、貢献したよ売り上げに。


歌詞の訳もメルで送ったりして。
何だか共感してもらえると思ってなかったところで
共感を得たからすごく嬉しい気持ちになった。


ただ。
そこで一つ考えたことがある。


安易に語ってはいけないのではないかという事実。
好きとか好意的な感情はプラスの感情なのだし
戸惑うことはないのだと思うが。
歴史というものは常に存在するわけで。
事実体験していない俺たちにも歴史は刻まれているわけで。

これは当然考えなければならないことだと思った。


俺は日本の文化も好きだけれど
世界の様々な国の文化に惹かれることも多い。
どこの国だから・・・ではなく、
この色彩が、この表現が・・・ということで惹かれるので
それは当然のことかも知れない。

だからこそ、そこにある歴史を振り返るときに
考えなければならないことがあるなと思う。


知らないことが多過ぎる中、
関心を自分からもつことの重要さを思い知った日だった。


それは未だに俺の喉にひっかかっていて、
うまく整理できていない。





話は変わって・・・。


数年ぶり(2年ぶりくらいか?)
に人を自分の部屋に入れた。


たぶんこれからまた2年・・・いやそれ以上は
人を部屋に入れないだろう・・・と決意した(ォィ

相手がどうのとかじゃなく、
人を部屋に入れることに遠ざかり過ぎてしまって
色々準備が必要になるし、気力も減るからだ(笑




そういう俺も昔は人を自分の部屋に呼んで
話したり、お菓子を出したり・・・そんなことが好きだった。
もう本当に前の話。


でも、それが億劫になった理由は自分でわかっている。

自分の部屋は、俺にとっては自分の心の第一室みたいなものだからだ。

心を部屋で分けた時に、
まず入って初めに第一室がある。

その奥にいくつもの部屋があって、
最終的に自分がいる。


人を自分の部屋に入れるということは、
自分の心のある部分を隠せない状況になるということになる。
そんな奥の部屋じゃないんだし大袈裟だと言われるかも知れないが、
第一室にすら、俺は人を入れるのに考えることが必要だ。

というか、できれば入れたくない。


だからといって普段仲良くしている友人たちに
本心や自分を見せていないというわけでは決してない。


矛盾しているようだが、双方嘘ではない。



何だか長くなりそうだから追記で。
偏った考えになるから平気な人以外は見ることを推奨しない。






























結局は人にとって何が大事かそれぞれ違うということが柱になると思う。

俺にとって今考えるとそれは



その人に裏切られてもいいかどうか。
この答えだと誤解を招くから付け加えると

その人にひどく傷つけられても
(その原因には自分の非が確実に含まれているはずだ)

たぶん俺の相手に対する気持ちは大きく変わらない。

それがわかっているので、
そのときに俺は変わらない気持ちでいる俺に耐えられるかどうか、
ということが俺の柱になっていると思う。


相手に対しての気持ちが変わらない自分に対して、
悲しくなったり辛くなったりすることがある。

相手に否定されるのが辛いとかそういうことじゃない。
肯定される場合だって否定される場合だって
辛い状況はあるから。



俺にとっての弱点は

相手を憎めないということだなと思う。


いらつくことはあるし、
憎たらしく思うこともあるけど、
激しく憎むことはできないし、
何よりそういう感情は続かない。



そうなると何だかそんな自分が悲しくなる。




相手に憎まれるとき、
どうこうでどう言ったから・・・とか
どうこうでどうされたから・・・とか
憎まれた原因とかを聞かされることがあったけど
何も言い返せなかった。

だって、
俺は相手が俺を悲しくさせることをしたな・・・とか
相手が俺を怒らせることをしたな・・・とかしか覚えていない。
何をされたとか言われたとか

そういう覚えていると悲しくなるような言動や行動は
細かく覚えてないんだ。


それは俺が幼少時代に自分で決めたことだ。


「誰がどう言ったとか、何をされたとか、そういう
 ことを言い返すのは悲しいことだ。
 
 そうだ。俺はそういうことは全て忘れることにしよう。
 覚えていなければ言い返すこともできないのだから」


こう決めて数年、俺は本当にそういうできごとを覚えていられなくなった。
その日悲しくて眠れなくても、
悔しくて悔しくて数日なき続けても、
俺はそのできごとの具体的な詳細を覚えていられなくなった。


本当にそうなってしまって、
良い面もあれば困る面もある。


だからそういう場面に出くわすと悲しいし、困る。

「あなたがそうしたからでしょ!?」
「あなたがこう言ったからでしょ!?」


言ってしまったこともしてしまったことも
覚えていることが多いが、

「だってあなたはこうした」
「だってあなたはずっとこうだっただろ?」

そんなことは一言も言えない。


「悲しい言葉を言われたことがあるよ」

「いつ?何て言った?」

「・・・・・・」

覚えていないのだがら相手にうまく伝えることができない。

これは困る。
言い返したい、じゃない。
相手に何が悲しかったか伝えたいのに後々になると覚えていないのだ。

しかも、覚えていない程度の悲しみだったんだと決め付けられることが
殆んどだ。
人の感情何て決め付けられるものか?といつも疑問に思う。


だから俺はその場で言うことにしてる。
それが一番いいと思っていた。


でも色んな人と出会って、
その場で言わず、かなり時間を置いた方がいいこともあると思った。


でも、それはできないんだよな。



伝えたいときに伝えられないのって悲しい。







そういうことをちゃんと話せばわかってもらえたのかな、
と思う人のことを思い出すと胸が痛む。



からっとしている俺がそのことで
ちくちく苦しむのは

やっぱり特別な相手だったんだなと思う。




わかってほしいという我侭で
自分の隠している話をして
奥の部屋に招待して。

でも、俺はそれでそういう人を失ってる。

だからもう人をあげるのが嫌になってる。

そんな蔑んだ目で、
疎ましいく思っている口調で、
俺を冷ややかに見るようになるのなら

手前の部屋までにしとく方が相手にとっても
自分にとってもいいのだ。




それでもいつか奥の部屋に寝転がって
昼寝をしてくれる人と出会えるかもしれない。
そう期待する俺がいる限り
わりきれない部分は続く。



そういう人たちのことを思い出すと
俺はもっと成長しないといけないなといつも思う。




ノックされても返事はしてない。
返事をしなくても扉の前で待っていてくれる
そんな状況になれてきてしまっているかもしれない。




 
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